目的の病院はすぐに見つかった。老人を降ろす前に、さっき預かっていた診察券を持って僕は停車させた車から飛び出して車道を横切った。
幅の広い階段を大股で走り上がると入り口の自動ドアはすぐに開いた。受付で診察券を見せて老人の予約の有無の確認をとると受付の看護婦は、老人は確かにこの病院の患者で本日診察を受ける事になっている、と言う。
どうやら診察予定時間はだいぶ過ぎていて、病院スタッフは遠方から来るこの老人の安否に気をもんでいたらしい。
すぐさま車に戻り老人の座っている助手席のドアを開けた。声をかけながら手を取って降ろそうとすると、老人は何やらその手の中に握ったちらし広告のような小さな紙切れを僕に渡そうとした。
一瞬、何か連絡先のようなものでも書いてあるのかと思ったが、それにお金が包まれている事を僕は瞬時に理解した。
ほんのタクシー代の代わりです。と、小さく老いた声で老人は言った。
突発的に飛び込んできた役目が終わり、肝心の取材先へ車を走らせる事に頭がいっていた僕は老人の短時間の間の、意外な程に素早い気遣いに困惑したが一度断りを入れつつも素直に受け取る事にした。
あの後、急いで車を走らせて、はたして僕は定刻までに取材先に辿り着けたのか。何を撮影したか。

これらその後の記憶が全く頭から跳んでしまっていて、あの病院近辺へ何か撮影で訪れた印象と一緒になっているのだが、それは多分思い違いだ。
折り目をつけて、小さく手でちぎられた白いちらし広告の包みの中には千円札が一枚、四つ折りにして入れられていた。
わずかな時間、僕が離れた間に用意されたその無造作な包みは、昔の人の事だからひょっとすると何かの時のためにあらかじめその状態で財布の何処かにしまわれていたものだったのかもしれないと最近になって考える事もあるが、あのあまりにも不均一な折り方は、やはりきっと机もないような所で慌てて折りこまれたものに違いないだろう。

いずれにせよその時の包みはここ九年ほどの間、お守りのつもりで僕のスケジュール帳のポケットにそのまま大切にしまってある。