トン、トン、と不意に助手席側の窓を叩かれたので、一件目の撮影が終って次の取材先に向かうため車を道に寄せひとり地図を見入っていた僕は驚いてしまった。
やや後ろ目に左に振向くと、そこには八十歳前後とおぼしき老人が車内を覗き込む様に立っていた。その目はじっと僕を見つめていた。

人通りも殆どなく声をかけられる理由が全く見当たらなかった僕は怪訝な調子で、なんですか?と、パワーウィンドウが下りきったところで訪ねた。老人は少し聞き取りづらい老いた喋り方だった。
最初事態がよく飲み込めなかったが話を聞いているうちに、どうやら検診に行かねばならない病院への道中で道に迷ったらしい事が判ってきた。
その最寄りの駅から数分で到着するものを勘違いをして延々反対方向に歩いてきて迷い込んだようだ。
この急な坂道の多いところからその病院のある街までは若者であればさほど遠くはなかったが、この老人の様子では恐らく相当な体力を浪費して時間もかかる事は容易に想像できた。また、いつ道に迷い込むとも限らない。
道を尋ねられただけだったが正直、参ったな。と、思った。

その日二件目の撮影場所へまさに向かおうと思っていたタイミングだったし、老人の話を聞いているうちにも一刻一刻入り時間が迫ってくる。躊躇しながら時計に目を向けつつも心の中で呟いていた。
俺が送って行くしかないじゃないか・・・。
何処かで少しでも迷ったり渋滞にでも遭遇したら完全アウトだと思った。そうでなくても道にうとい僕の事、とっさに適切な道順を選択出来るかどうかもとても怪しかったがとりあえず老人を助手席に乗せてそこで診察券を見せてもらった。
そこに記された住所を確認し、もともと僕が下ってきた長い坂道を切り返して逆戻りに車を急発進させた。
車中で少し話しをしたがやがてスタートとなる撮影時間や取材先の事が気になっておそらく僕は上の空だったろう。

話をする老人の横顔にあまり表情はなかった。
〈つづく〉