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明日、12月14日は衆院議員選挙投票日ですね。
仕事にプライベートに何かと追われる事も多いこの時期ですが自分の意志を政治に反映させる大事な投票日なのでぜひとも投票に行こうと思います。
今回の選挙ではよく「大義がない」「意味がない」「税金の無駄遣い」という声をいろいろなところで耳や目にする事が多いのですが僕は全くそう考えていません。
皆の関心の高いアベノミクス経済政策の是非、消費増税~10%増税期間限定の先送りとその見通し、外交/安全保障に関する方向性、意見が二分される集団的自衛権の解釈問題や秘密保護法、原発の問題、福島復興、教育や少子化の問題、移民に関する法案などなどなどなど・・・・、これからの僕たち国民にとってとても大事な事柄、数々の重要な問題を踏まえた日本の在り方について現政権が2年の間に行ってきた事をここで有権者からの評価を得る、国民が判断を下す、というとても全うな手続きであると僕は考えています。総理の思惑や計算もいろいろありましょうが政治とはいつでもそういうものであろうとも思います。
いくつかについてははっきりと自分の意見や考えがありますし他の様々な事案も含めて僕のような者にはなかなか難しい事もあったりします。
ここで僕なりの認識は特に記しませんがいまの政権の良いところ悪いところ、僕と意見や考え方が似通っている方もおられますし、ひとつひとつについて全く正反対の考えをお持ちの方もいらっしゃると思いますがそれも当たり前の事だと思います。
今の選挙制度が適切な制度なのかどうかは僕のようなパッパラパーには難しい事ですが、候補者の中に自分の票を投じたい立候補者がいるのかいないのか・・・あそこの選挙区ははっきりしていていいなぁ・・・とか、あそこのあの人は当選してほしいなぁ、この人はまた選ばれてしまうのかなぁ・・・とか、最高裁判事ってどの人がどういう判事なのかきちんと分かるようにして欲しいよなぁ・・・ぶつぶつ・・・、とかいろいろある訳ですが飛交う情報に惑わされず自分自身の考え方を基に出来る範囲で調べたり考えたり悩んだうえでしっかりと名前を書いて投票しようと思っています。
僕の大切な一票なので。
明日予定のある方、あとわずかな時間ですが期日前投票に行きましょう。
明日時間がある方、必ず投票に行きましょう。
僕はたまたま撮影が入っていますが前後で必ず行きます。
ロバフォトでの僕の写真を長らくお待ちになっていてこれを見てしまったみなさま、ブログ書いちゃいました。
スミマセン。
この後作業続けますのでお見逃し下さい。
大事な事だと思いましたのでつい・・・スミマセン、スミマセン、、、。
というわけで本日の一枚。
ついつい時間を忘れて長くなってしまいますのでね、僕も。
あっと言う間に11月も終わりが近づいてまいりました。
最近では夏休みが終ると秋の匂いをあまり感じないまま、これまたあっという間に冬がやって来てしまうような気がしますが、街に出ると銀杏や色づいた木々が鮮やかに眼に映り少しほっとする気持ちになります。
(本日の一枚、は一番下にいつも通り掲載です)
さて、この度唐突ではありますが、普段より「セタガヤ ロバフォト」として様々な方々が撮影に来て下さるウチの自宅スタジオですが、来たる12月3日の水曜日にこの自宅スタジオスペースでヨガレッスンをすることになりました。
「なんだ?それはお前がレッスンするのか?」といったこわい声が聞こえてきそうですが残念ながら(?)僕ではありません。
お知り合いの女性インストラクターの先生(ヨガ・サンサーラ/坂本先生)がいらしてご指導下さいます。
実はこの夏に生まれて初めてヨガを体験しましたがそれはそれはとても心地の良いものでした。
機材は重い、撮影は中腰、画像処理はイスの上であぐらかいてPCとにらめっこ、こんな日々ですので本当はスポーツでもするといいのですがお酒ばかりが進んでなかなかそんな余裕もありません。あら?
で、ある時お知り合いの先生がウチにいらして子供の同級生のお母様方集まりヨガをやる、というので僕も参加してみました。
その時も午前中から教えてもらいましたが激しい運動ではないので朝から気持ちはリラックス、マッサージではないのである程度体の緊張感は保たれたままとても体と頭がすっきりしました。
仕事前でもこれはいい、またやりたい。
というわけで後日その先生といろいろ相談しまして、どうせやるなら興味ある人には遠慮なく来てもらってみんなで楽しくやりたい!と、今回の運びに至りました。
ご興味のある方、運動不足、年末が差し迫りキモチもカラダもテンパってまーす!という方、お時間に余裕がありましたらぜひ気楽にご参加下さい。
ウチの自宅スタジオですのでスタート時間だけ気にして頂ければ後は気楽に楽しんで頂けると思います。
ちなみに別日でも小田急線経堂駅近くでレッスンの予定があるそうなのでぜひヨガ・サンサーラHPを見てみて下さいね。
今回はウチでやります。
ご興味ある方、人数が制限されますので事前にご連絡下さい。
お友達お誘いの上ぜひ!
日時:平成26年12月3日(水) 11時~12時30分
場所:setagaya ROBA・PHOTO (http://robaphoto.com/access.html参照)
※ 開始5分前には、集合してください。
※ ヨガマット無料貸出有り (先着4名様)
諸事情により12/3(水)当スタジオでのレッスンは延期となりました。開催の場合またご通知します。
詳しくはYOGA SANSARAホームページ
http://yogasansara.orgをご参照下さい。
と、いうわけで本日の一枚。
ま、いいか。
秋の夜も長いですからね。
あしたのジョー、の時代展」が終ってからすでに一ヶ月ほどが経ってもう観に行く事が出来ないのはもちろんの事、僕の頭の中もすっかり年末モードに切り替わりつつあったりするのですが、今更なんだ!と思われようが書きかけていたので前回の続きです。
えーじゃないかえーじゃないか。
よく考えてみると主人公なのにジョーのことはそれほど詳しくは描かれてはいません。出生や生い立ちが不明ですし、孤独でひねた性格ですがちょっと気の良さげなところもあったり・・・くらいのものです。物語を通してボクシング技術とともに心身の成長が描かれていきますがジョーがどこに向かおうとしているのかは読者それぞれの受け止め方に委ねられる(有名なラストシーンも含めて)事になっています。
それに対して脇役たちの人物像は日常的な背景が具体的に描かれている場合が多いです。息子のようにジョーを慕いつつもジョーを通して自己の尊厳を懸命に取りもどさんとしているようにもみえる段平のおじさん、ジョーとは反対に人間臭く弱みを持って描かれる相棒の西寛一、貧民街から這い上がりその栄光を華麗に駆け抜けんとするカーロス・リベラ、哀しく忌まわしい過去を持つ冷徹な金竜飛、温かく豊か家庭を持つ世界最強の男ホセ・メンドーサなど死闘を繰り広げるライバルたち。
そんな中でも特に見事に描かれているのが、財閥令嬢である白木葉子と下町の乾物屋商店の娘である紀子という対極にあって決して交わる事のない2人の女性登場人物です。
この女性登場人物を主眼に据えた時にジョーという1人の若者を通じて、まったく違う別の歩みである2人の女性の生き方に男だらけの作品展開の中にあってさりげなく焦点があてられています。
物語として最後まで重要な役割を果たしていくことになる葉子に比べて決して多くはない登場回数の紀子ですが、葉子よりも世間一般的な女性像として描かれるその様子は、自分の思うところに奔放に生きているように見える葉子のそれよりも、ひとりの女性としての想いに基づく平凡ながらも深くて強い人生観が少ない登場コマ数の中で表現されています。
今の時代でも然程変わらない新しい女性像である白木葉子が物語の終盤に女性らしい弱さをみせる場面は「あしたのジョー」のひとつのクライマックスですが、女としてあるひとつの人生を選択出来た紀子の強さとしたたかさを際立たせる事にも繋がり、相反する二人の女性のその後の歩みもひとつの物語の中において想起させるとても多角的なエピソードとして読み取れます。
そんな事を考えた時に物語の初期においていよいよ話が本筋に入って行くというところで出所した少年院からドヤ街へ帰ってきたジョーが紀子と初めて出会う場面、紀子を白木葉子と見間違えるシーンがありますが物語の終盤に差し掛かりつつあるところまで読み進んだ時に、それが何気なくも二人の女性登場人物の皮肉な先行きとして興味深い場面であった事にふと気がつきます。
他においても様々に具体的に描かれる幾多の登場キャラクターの中で、やはりその背景が具体的に描かれていない力石徹とともにジョーは物語の中で抽象的対象として描かれ、その分読者として物語の中に移入しやすい事になっているのかなとも思います。
「あしたのジョー、の時代展」ではその時代背景や政治運動と重なった当時の新しいカルチャーもちばてつや氏の生原稿とともに紹介されていて大変興味深く時間があっという間に過ぎていってしまったのですが、依然として戦後の余波と摸索が続く混沌とした時代であったからこそ少年漫画の枠に納まらないひとつの大きな時代の表情として当時の大人たちまでもが夢中になった「あしたのジョー」だったのだとあらためて感じたのでありました。
あしたのジョー展観に行ったよ~♬くらいのカンジで記すつもりがだいぶ長くなっちゃいました。
そういえばここ10年以上じっくり読んでいませんが子供の頃から何度も読み返した大好きな作品なのでいろいろ書こうと思えばこのブログ10回分くらい書けそうなのですが今回のところはこの辺で。
今更ながらのありきたりな個人評でお恥ずかしいですが、もし作品を未読の方、あるいは作品のファンの方が興味を持って読んで下さったようでしたら嬉しく思います。
話を知らない若い方々、大きな本屋さんなら愛蔵版などで復刊したものが置いてあると思うので、僕も知らない当時の雑然とした「モーレツ」の時代の雰囲気も味わいつつぜひ読んでみて下さいね。
と、いうわけで本日の一枚。
先日、とりかかっていた仕事を早めに終える事が出来たので会期終了直前でほぼ諦めていた、「あしたのジョー、その時代展」をその日思い立って観に行きました。
自身も熱烈なファンであったという寺山修司氏作詞によるあしたのジョー主題歌の有名なフレーズ「あしたは、どっちだ?」ではありませんが、慣れない都営地下鉄大江戸線の新宿駅ホームやら初めて利用する練馬駅の構内やらで(どぉっちだぁ~?)と尾藤イサオ声で彷徨いながら涙橋、いえ、展覧会場のある西武池袋線中村橋駅に到着したのでした。
それにしても「あしたのジョー」とは何といかしたタイトルでしょう。
言葉のテンポがよくて簡潔であるのと、希望に満ちている中にもどこか哀愁を感じさせる雰囲気が漂っていてロマンを感じちゃいます。
こりゃ男の子だったらこのタイトルだけで手に取ってしまいます。あ、単行本の事です。
京王井の頭線西永福駅の近くの小さな本屋さんでこの原作コミックを手に取ったのが小学2年生くらいのことではなかったかと記憶しています。
父親の本棚の中に「ハリスの旋風」というちばてつや氏の漫画本があってそれを読んだ事があったからか、同じ作者、同じタッチの絵柄という事がありなんとなく「あしたのジョー」の事も知っていたのでしょうか。
その本屋さんには1巻が売っておらず、途中からででもいいので(タイトル表紙とぱらっと見た中身に強く興味を引かれたのを覚えています)親にねだって当時のKCコミックス版第2巻を買ってもらいその世界にどっぷり浸かっていく事となりました。
僕の生まれた昭和46年の世代はといえば、「あしたのジョー」のその時代より結構後の世代です。
講談社の少年マガジンで連載スタートが昭和43年、アニメ放送開始が昭和45年との事なので、マガジン連載当時をもちろん知りませんしアニメは本放送ではなく再放送での体験です。ただ、そういったものに興味を覚える年齢になってきても本屋さんを覗けばオリジナルのKC版単行本はまだまだ普通に売っていましたし劇場版アニメも映画館で封切られたりしていてまだまだ人気さめやらぬ、といった頃だったのだと思いますがそれでも少年時代の頃といった時期です。
世間的に見れば「あしたのジョーの時代」というとビートルズは全盛期~終焉期、大阪では岡本太郎氏の「太陽の塔」で有名な万国博覧会が開催され、戦後の復興~高度経済成長期を経て日本はいよいよ次のステージへさしかかる~、という時代だと思います。
ちなみに僕がこの世に生を受けた頃にはわずか前にビートルズは解散してしまってすでに存在していませんが、鈴木ヒロミツさんのMobil石油のCM(ジョーと時代展会場にもVTRが流れていました)はかろうじて幼少の記憶があります。調べてみるとCMの制作年が僕の生誕年でしたのでわりと長い間TVで放映されていたという事でしょうか?
経済大国へまっしぐらの学生運動盛んな動乱期といった括りで語られる事も多い「あしたのジョー」ですが、何と言ってもやはりその物語の完成度の高さに作品発表後40年以上経ってもなお深みを感じ驚かされます。
シンプルながらよく練り込まれたストーリーとそれぞれ魅力的な登場人物、一コマ一コマ鮮烈な絵描写と印象的なセリフと数々の名フレーズ、限られたページ数の中で数多くの脇役たちの人生ドラマまでも見事に描ききれている点が作品全体の世界観にいっそう深みを与えています。
話が長くなってきましたね。。。
続きは次回。
と、いうわけで本日の一枚。
夏休みの宿題を自分が子供の頃はきちんとやっていたのかな、と思い返すと出来はともかく一応揃えていたのではないかな、と思います。
出来はともかく、です。
飽き性であるしだいたい小学校6年間の通信簿には「落ち着きがありません」と書かれ続けましたから大概は漢字プリントの隅っこに落書きしてみたり歌を口ずさんでみたり、計算ドリルも2、3問進めた辺りからいつの間にか妄想にふけっていたりといった具合ですが、夏休みの一番最初に「一日の予定表」として睡眠だとか宿題やプールの時間、自由時間だとかを円グラフで24時間の時間配分をこれも宿題の一環として書かされましたので、それを元に「一応」規則正しく毎日を送る訳なのでなんとか宿題も大幅な遅れは回避出来たのかなと思います。
現在親の立場で子供の様子を見ていて、自分の子供の頃の事はすっかり棚に上げてたまにバシッと叱りつけたりするのですが まぁ概ね僕よりしっかりやっていると思います。
スミマセン。
最近の子はみな学校の宿題の他にも塾やお稽古事も多いでしょうから僕らの頃とは違ってなかなか大変でかわいそうになとも思います。
そんな事で先日も子供から宿題の事で質問を受けました。
トイレから戻ってきた僕にすかさず
「いのちのある場所ってどこ?」
ちょっと覗いてみると通う塾の国語の宿題でした。
日野原先生と仰る100歳を越えてなお現役で医師を続けておられる方の子供たちに向けての講義のお話がそこに記されており、聴診器を胸に宛て実際に心臓の鼓動を聞かせて子供たちに命の尊さを考えさせる、といった内容でした。
先の話を読みいのちはどこの場所にあるのか自由に答えなさい。
そもそもそれが問いなのでダイレクトにその答えを親に聞いて来るとはなんたる事かと一瞬思うのですがはて、普段から何となく頭ではイメージを持っていても明確に小さな子供に説いてやったり或いはヒントになるような文句を聞かせてやろうと考えますがなかなか難しい。自由に、という所がまた心にくい。
こちらも頭の中を素に戻してもう一度話しを読み直す。
その問題の語りの中では「いのち」というキーワードはいっさい出てきません。
単純なようでなかなかに哲学的な問いかけです。
父親としてそれなりの答えを提示せねば・・というちょっとした私欲も芽生えたり・・・。
その後、出先の車の中でふと横を見ると難しい顔をしてじっと一点を見つめているので、運転をしながら先程の答えを何と書いたのか聞いてみると、そのまま運転席からずり落ちて電柱にでもぶつかってしまうのではないかと思うようながっくりする事を言うので僕に出来る様々な話を引き合いに出してもう一度考えてみるように言いました。
このお話、調べてみると絵本になって出ているのだそうです。
いのちの場所っていったい何処にあるのか、僕の中ではいったん言葉に表せる答えを出したのですがそれはまだ子供に話していません。もう少し本人にも考えさせながら僕自身もじっくり考えを巡らせてみようと思います。
ところで、あの時車の中で助手席に座り一点を見つめ何を考えていたのかというと全くもって異なる、テレビの事を考えていたのだそうです。
あらら、ずいぶん思慮深い顔つきであったので感心して尋ねてみたのですが・・・、まぁ子供たちもそれなりに考え事がいろいろあるでしょうからね、僕もその辺はとてもよく理解しております。
と、いうわけで本日の一枚。
明日は投票日 |
at 2014-12-13 18:46 |
ヨガレッスンやります(←諸事.. |
at 2014-11-27 19:53 |
「あしたのジョー、の時代展」#2 |
at 2014-11-02 11:10 |
「あしたのジョー、の時代展」 |
at 2014-10-03 18:23 |
いのちのある場所 |
at 2014-08-30 01:13 |
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